非通知の彼


池袋駅の改札で鳴った非通知の電話は、出てみると間違い電話だった。気まずそうに謝る相手に社交辞令を返しながら、スマートフォンの画面をタップして通話を終わらせる。表示された時刻は快速まであと6分。スマートフォンSuicaに持ち替えて、少し急ぎ目に改札を抜ける。
前回も非通知でかけてきた人の声を、少しだけ期待した。その時もたまたま西鉄久留米駅を歩いていた。30分に1本しかない特急電車までの残り時間を数えながら、バスセンターからの階段を上っていたときだった。
池袋駅の階段を二段飛ばしで上る。もしかしたらさっきの山手線が吐き出した雑踏の中に彼がいなかったかなとか、いささか都合の良い想像を並べながら。

高校2年生で初めて一人で来た東京は怖かった。東京に来たこと自体は何回かあったのだが、一人で来たのは初めてだった。人が多くて広くて路線も多くて迷子になりそう、なんてびくびくしながら乗り換えた駅が「新宿」や「上野」や「渋谷」ではなく「目黒」なのだから、今思い出しても苦笑してしまう。上京の目的だった塾の夏期講習の席に着いても、自分のシルエットだけが周りからピンボケしたかのような、どことなく場違いな気持ちを上手く処理できないでいた。
Hくんは、最初近くの席に座っていた。最初、よく喋るなコイツと思ったことを覚えている。その講習はちょっと変わったセミナーで、生徒は8人くらいの班に分かれ、それぞれの班に大学生の先輩が担当としてついていた。休み時間には高校生同士でバカ話をしたり、大学生を交えて進路の話をしたり、いろいろなことを話した。その輪の中にいつも彼はいた。周りからピンボケしていた自分とは対照的に、彼にピントが合っているかのような気さえした。
Hくんはいい意味で野心家だった。見てきたものも、見ているものも、それを元にした彼の考えも刺激的だった。時には頷き、時には反論しながら、ピントが次第に「彼」から「僕ら」に合っていく。また大学生になったら続きを話そうぜ、と講習の最後に言って福岡に帰った。

そしてHくんは、携帯電話を持っていなかった。その後の彼からの連絡は一方通行になった。公衆電話でも使ったのだろうか、2,3回電話がかかってきた。彼の気が向いたときに。
大学生になって東京に来て、3年。目黒はもちろん、上野や新宿、池袋を歩いたところで自分が浮いたような感覚になることはなくなった。そう思っていた。
非通知設定の電話がかかってきたとき、気まぐれでかけてきた非通知の彼の声を少しだけ期待した。もしかしたらまだ自分の中の自覚していないところに、ピントを合わせきれない何かがあったのかもしれない。快速電車がホームに入ってくるまで、一人でそんなことを考えていた。